ダイヤモンドツールのレーザー加工と精密金属部品加工のプロフェッショナル

すぐわかる市川精機

開発秘話

レーザー溶接による製品開発秘話

ロー付けに変る接着方法を求めて

それはオイルショックの後でした。
銀ロウが高騰した時でした。
一キロ13万円位になり、約6倍となり製品に跳ね返り大変なことになった時でした、これでは物は売れない。 何とかロウ付に変る接着方法が無いものか?強度があってさらに熱にも耐えられる物が無いか?安定した価格でお客様に提供できなければ自分たちも仕事がなくなる? そんな思いを抱いていた時、ある雑誌にレーザー溶接の話が載っていました。
鉄と鉄とを溶接し、歪みが出ない、溶接部が細い、見た目も良いとのっていました「これだ!これしかない!」と勇んでテストをしてもらい結果は失敗でした。

episode_img01

レーザー溶接

機械メーカーも、レーザー溶接に関して技術も知識も無く、技術が確立していませんでした。 異種金属だから後で分かった事です。機械の値段も高く、一台一億五千万となかなか手が出ません。

成功するか失敗するかまったくの賭けです。 それでも諦めきれず、お客様の所に行き、レーザーの機械を買いたいが半分資金を出してもらいたいとお願いしたら、 そんな高い機械を買うより、今の銀ロウ付けを取れないように研究したらどうかと言われ“そうかなと?”その時はそのままになり、 銀ロウも値下がりしてきたのでそのままになっておりました。

レーザー溶接技術を求めて渡米

そんな時カッターの海外への輸出が増えてきてロウ付刃が飛ぶと保障問題になるから気を入れてやってほしいと言われました。しかしロウ付では100パーセントの自信が無い、限度があると話し、その時に三菱電機の道橋さんを紹介して頂きました。いよいよ本格的にテストが始まり、何回かやったがなかなか上手く行かず、 7月30日に三菱電機に行った帰り、ヤマザキマザックに寄り、今の会長にお会いしました。

溶接が上手く行かない話をし、どこか溶接をやっている所を知っていたら教えて貰いたいと製品を見せたところ「カッターでは無いが、違う溶接をやってるのを見たよ、「アメリカへ行ってみますか?」と言われました。
直ぐにお願いしますとその場で返事をし、8月12日から、妻と2人で渡米しました。

サンフランシスコからサンホセに、そしてコヒレント社に入り、早速テストの品物を見せてできるかと話したら、「できる」と即答でした。
それでは機械を見せて下さいとお願いすると軍事部品を作っているから見せる事できないと、断られました。一生懸命お願いしてやっとOKがでて、実際に作業をみてビックリでした。
  その設備の素晴らしさ、溶接の綺麗さに目を見張りました。

まさに一目惚れでした。

資金集めテスト

総額一億三千万の設備です。
17人そこそこの小さな会社がそんな資金はありません。当然銀行からの借り入れをします。「銀行に話をして8000万貸してほしい、この機械を動入することで、相当の売上げが見込めて利益もあがりますから」となんとか説得。「使って下さい」と言われたときは、涙が出るほど嬉しかったです。
その当時社員ともども、毎日夜遅くまで働いていましたから、皆でやるぞ成功させるぞと燃えていました。

機械が納入されテストが始まりました。始まって3ヶ月、アメリカとドイツそれに国内の各ダイヤモンドメーカーが「取引をしてくれ」「テスト試作をしてくれ」と毎日忙しく徹夜も毎日のようにしていました。
しかし、成功が遠く発信機のパワーが足りず、溶接もきたなく、熱影響も多く、品物になりませんでした。

再度渡米

もう一度アメリカにテストに行こう。今度はSPスペクタルフヂックの会社に行き、5KWの高出力の発信機でテストを行いました。そのパワーにビックリ。レンズを使わないことにも二重の驚きでした。
ビームの細さで製品の良し悪しが決まると確信を得て、帰国。自分でもかなりのノウハウを持っていましたので、国産の発信機を採用しました。

開発成功

episode_img02

YAGレーザー

開発は順調に進み、終盤、製品が成功してないのにお客さんが勝手に新聞発表してしまい、残り一ヶ月しかないから成功させるようにと厳しいお達しでした。

今の工場長の村山と徹夜徹夜の連続で、期限三日前に迫っても出来なく、村山と夜中に「駄目だ!と諦めて」一杯やって寝ようと機械のところに一升びんを持ってきて飲み始めた所、視点を全く逆に考えた発想が浮かびました。条件を変えてトライ、朝の3時に成功することができました。
これでもかと試作品を何度も何度も繰り返して同じ物が出来る事を確認し、当時担当してくれていた専務に、朝の4時に自宅へ電話して、「成功した」。「何度繰り替えしても同じ物が出来るよ、大丈夫安心して売り出してください」、と言うと「有難う・有難う」と何度も何度も言われたのが、今でも鮮明に私の心に残っています。

苦労して良かった。このレーザー溶接の成功で取引先も増え、今では六台の機械その内二台は役目を終り現在四台、内一台は2.5KのYAGレーザーで活躍しています。

bnr_laser

ページのトップへ戻る